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三輪そうめんのお話

三輪素麺の歴史は神代の昔の伝説にさかのぼります。今から1200年以上前、大神神社(三輪明神)の大神主であった大神朝臣狭井久佐(おおみわのあそんさいくさ)の二子穀主(たねぬし)が、 神社周辺で素麺原料の小麦栽培を奨励し、麦縄(素麺の原型)づくりを始めたと伝承されております。

肥沃な大和盆地で産する小麦を、三輪山から流れる川を利用した水車で粉を挽き、それを加工していたことは確かで、室町時代頃には現在のような細い素麺があったと考えられます。

三輪山麓に湧き出る水は、「山美しく緑濃いところ水もまた清く澄む」といわれ、「不老長寿の霊水」と古くから信じられておりました。 三輪素麺の品質が優れているのは、この良質の湧き水と、三輪の気候風土が細く長く延びる麺用の小麦を育てるのに適していたからです。  

平安時代には殿上人だけが口にできた高貴な食べ物として賞味され、室町時代には、僧侶、武士の階級にまで広がりました。

一般民衆が口にするようになったのは江戸時代に入ってからで、農閑期のレジャーとしてお伊勢参りが流行し、その宿場町・三輪で食べた冷たい素麺の味が故郷に帰っても忘れられず、 三輪に製法を習いに来ては諸国にその技術を持ち帰って、播州、岡山、小豆島、阿波半田、島原等の日本各地に素麺の生産地が形成されたと言われています。

このように三輪素麺は、手延素麺の元祖であり、日本最古の加工食品とさえ言われております。

 

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金屋の石仏


 大神神社へと続く山辺の道沿いの金屋の集落に、凝灰岩で出来た二面の石仏がお堂の中に安置されている。 高さ約2メートル、幅約83センチ、厚さ約21センチの2枚の岩に釈迦如来像、弥勒菩薩像が浮き彫りにされており、石棺の板石を転用したものだともいわれています。 制作年は諸説があるが、平安時代後期~鎌倉期の作だといわれております。
 
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大神神社


日本最古の神社と云われており、本殿は設けず拝殿の奥に三つ鳥居を通じて背後のご神体である三輪山を拝する様式となっており、 医薬・酒造・農・工・商・全ての産業開発等、世の中の幸福を増進することを計られた、人間生活の守護神であります。 
そうめんの神様としても信仰を集めており、毎年2月5日三輪素麺の新しい価格を占う神事「朴定祭」が執り行われ、その年の新しい値段が決まります。
 
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海拓榴市


古代、東西南北の陸路や難波への水路が集まる重要な場所で、日本最古の市があったとされる。 今では、海拓榴市観音堂がひっそりとたたずんでいます。
 
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仏教伝来之碑


難波津から大和川を遡行してきた舟運の終点であり、大和朝廷と交渉をもつ国の使節はここへ到着した。 欽明天皇13年に百済の聖明王の命による仏教伝来の使節もここに上陸したとされる。

当社三輪素麺の特徴

品質・衛生管理をおこない、工程原理を徹底的に追求する事で、本来の手述べ素麺の良さを損なう事なく、 また手仕事の伝統と基本を尊重し、より近代的でより衛生的な生産システムによる手延べ素麺づくりを確立いたしました。 

これにより、天候その他の自然条件や様々な変動条件に左右されることなく、本当のおいしさを安定して提供できる体制を実現しています。

素麺は何故極寒品がよいのか

素麺を冬期に選んで製造するのは、気温が高いと生地がダラけるうえ表面がベトつき気味となり、 互いに延ばしたものがくっつきあい、製造工程中に不都合が生じることと、酵素が活性化して特にねかしの間に発酵して緩み、 生地の緻密性が失われ、また塗布した油が変敗になるのを嫌う為である。

賞味期限について

賞味期限は未開封の状態で保存方法に従って保管した場合に美味しく食べていただける期限です。賞味期限に関わらず、 開封後はお早めにお召し上がりください。

保存方法

手延べそうめんは非常に湿気を吸収しやすく、状態によっては賞味期限内でもカビや虫が発生する場合がございます。 保存の際は直射日光を避け、湿気の少ない場所で保管してください。 (シンク下や床下収納、押し入れなどの多湿になるところは避けてください。)
また、他の匂いを吸収しやすい性質を持っているので匂いの強いもの(化粧品・石鹸・洗剤等)と一緒に保管しないでください。

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