奈良県桜井市にて初瀬川(はせがわ)の水力を利用した製粉所を創業
代表取締役 挨拶
― Greeting ―

もっと豊かな明日のために。
私たちのテーマは、食文化の創造です。
記紀万葉のふるさと 奈良・桜井の地で創業して百四十有余年。
私たち巽製粉は、つねにより豊かな食生活の向上に尽くして着実に成長を果たしてまいりました。その間、食を取り巻く環境は「量の充足」から「質の満足」が求められる時代へと大きく変化してきました。
私たちは、そうした消費者の食生活の変化をいち早く読み取り、祖業である製粉事業から、より多くの皆様の食卓と身近に接することができる二次加工製品の製造へと進出しました。幅広い見地から一貫して食文化を提案する食品企業として、身近なパンを通して人々の食生活に寄り添う製パン部門<フローベル事業部>と、地場の三輪素麺の伝統を現代に活かす<手延素麺事業部>の2事業部体制で業界でも独自の地位を有するまでになってきました。
今後も、より多様化、個性化が進む食生活の分野で、1人でも多くの方に愛される製品作りを通じ、さらなる「豊かな食文化の創造」を追及して社会に貢献してまいります。

代表取締役 巽 弘典
会社概要
― Company Overview ―
商号
巽製粉株式会社
創業
1877年(明治10年)
設立
1953年(昭和28年)1月31日
資本金
5,800万円
代表者
代表取締役会長 巽 弘典
代表取締役社長 三宅 泰德
従業員数
150名
事業所所在地
<本 社(工場所在地)>
〒633-0062
奈良県桜井市粟殿789-1
※登記上本社
〒633-0018
奈良県桜井市脇本528-2
<フローベル事業部(製パン)>
TEL:0744-43-5271(代)
<手延素麺事業部>
TEL:0744-43-5788(代)
<管理部>
TEL:0744-42-6585(代)
<工場直売所>
〒633-0062
奈良県桜井市粟殿789-1
・営業時間
月曜日~土曜日
12:30~16:00
沿革
― History ―
1877年(明治10年)
1945年(昭和20年)
巽五郎 祖父の業を継ぐ
1953年(昭和28年)
法人に改組し、巽製粉株式会社を設立
代表取締役に巽五郎 就任
1967年(昭和42年)
輸送部を分離独立し、八千代陸運株式会社を設立
1973年(昭和48年)
小麦粉の2次加工部門としてフローベル事業部(製パン)、手延素麺事業部を創設するため、桜井工場を竣工 3事業部体制を確立
1985年(昭和60年)
桜井工場第1次増築
1991年(平成3年)
桜井工場第2次増築
1995年(平成7年)
巽熊一 代表取締役に就任
2001年(平成13年)
品質マネジメントシステムに関する国際規格ISO9001認証 取得 (対象製品:小麦粉・ふすま・手延素麺)
2003年(平成15年)
品質マネジメントシステムに関する国際規格ISO9002認証 取得(対象製品:小麦粉・ふすま・手延素麺)
2007年(平成19年)
巽弘典 代表取締役に就任
2014年(平成26年)
地元桜井市と災害時における物資供給に関する協定を結ぶ
2017年(平成29年)
フローベル事業部 食パンラインを増設
製粉事業部を廃業し、フローベル事業部、素麺事業部の2事業部体制となる
2018年(平成30年)
素麺事業部が奈良県HACCP自主衛生管理認証制度(通称:ならHACCP)の認定施設として認証
フローベル事業部 菓子パンライン更新
2019年(令和元年)
三宅泰德 代表取締役社長に就任
麦坐 三輪素麺「蔵出古品」がモンドセレクション最高金賞5年連続受賞(2015年~2019年)
2021年(令和3年)
フローベル事業部が奈良県HACCP自主衛生管理認証制度(通称:ならHACCP)の認定施設として認証
アクセス
― Access ―
弊社の前には山辺の道が通っており、
その道筋には遺跡、文化財が点在しております。
金屋の石仏
大神神社へと続く山辺の道沿いの金屋の集落に、凝灰岩で出来た二面の石仏がお堂の中に安置されている。
高さ約2メートル、幅約83センチ、厚さ約21センチの2枚の岩に釈迦如来像、弥勒菩薩像が浮き彫りにされており、石棺の板石を転用したものだともいわれています。
制作年は諸説があるが、平安時代後期~鎌倉期の作だといわれております。
大神神社
日本最古の神社と云われており、本殿は設けず拝殿の奥に三つ鳥居を通じて背後のご神体である三輪山を拝する様式となっており、 医薬・酒造・農・工・商・全ての産業開発等、世の中の幸福を増進することを計られた、人間生活の守護神であります。
そうめんの神様としても信仰を集めており、毎年2月5日三輪素麺の新しい価格を占う神事「卜定祭」が執り行われ、その年の新しい値段が決まります。
海拓榴市
古代、東西南北の陸路や難波への水路が集まる重要な場所で、日本最古の市があったとされる。
今では、海拓榴市観音堂がひっそりとたたずんでいます。
仏教伝来之碑
難波津から大和川を遡行してきた舟運の終点であり、大和朝廷と交渉をもつ国の使節はここへ到着した。
欽明天皇13年に百済の聖明王の命による仏教伝来の使節もここに上陸したとされる。